
2012年5月16日 水曜日
昨日もビジネス展開に大きな兆しのあるお話をさせていただく事が出来ました。このご縁も私のお世話になっている方からある人を紹介していただき、そしてその方からまたある人を紹介していただきました。
もう、話は簡単でこの人達がもってきた話しであればなんとか形を作ってあげようというのが前提で話を進めてくれる。普段では絶対お会い出来ないような人達に直接話が出来る場を与えて頂ける。
ほんと有難い思いでいっぱいです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
今日もある凄い会社の社長様とお会いし、お話を聞かせて頂きました。今日は顔合わせという感じで1時間くらいの時間なのかなあと思っていたら、その方がいろいろな話しや経験談、いろんな歴史上の実際お会いしている方の話を聞かせてもらったり、ほんと凄いいっぱい話をして頂きました。
「ありがとう」と言われる経営、宇宙の真理にあう生き方、人間に生まれた目的、見えない事がわかるようになる事、リンゴの木の話、いろいろな作家のお話などいっぱいいっぱいいろんなお話をして頂きました。
とっても楽しそうに、とってもいい笑顔で話してくれます。話し方も独特で普通ではないなあと思いました(笑)
しかし、そんな凄いと思う方でも毎日のように本を読み、凄いなあと思う人に会いに行き話を聞きに行ったり、いろいろな勉強会にも参加されていて、今もなお成長しようとされています。
悪い事、苦難な事が起こる事は全てにおいて意味がある事で、この世に偶然という事はひとつも存在しないと。
そして、今日の人とのこの縁も偶然ではなく、必然的な事で会うべきだから会えているんだと言っていました。
いい事も悪い事もすべて自分がこの世に生まれてきて与えられた試練なんだ。
癌になられた事も原因とその理由もしっかりとらえられていて、自分が悪いからこうなったんだからこれも教えなんだと笑って話したおられました。
4時間ほどのお話もあっという間という感じでした。次は違う話を教えてやると次回の約束をして頂きましたが、ビジネスとは関係なくいろいろと教えて頂きたいと思っています。今日の人間として生まれてきた目的についても次の時の楽しみにしておくようにと言われ、まだ教えて貰ってません。
この方の仕事の仕方や仕事の大きさには驚かされましたが、ちょっとしたきっかけから大きな仕事につなげていき、それを継続して付き合っていける人間、男としての器なのだと思いました。
ほんと凄い人ばかりです。
今日も感謝の一日でした。ありがとうございます。
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2012年5月13日 日曜日
こんな事を公然の場で話をしようと思ったのは、今回転輪太鼓の國分さんと知り合い、支援活動を一生懸命やっている姿に感動した事と「子供達の為にやってあげたいんだ」「苦しんでいる子供達の為に継続的な支援を続けていく事が大事なんだ」という事から千本桜プロジェクトを起ち上げ、多くの人達に支援活動にご協力を頂きたいと思いました。
私の幼児期の体験を話すことで「子供の心」を今のお父さんやお母さんに分かってもらえる事が出来るなら、話てもいいのかな、って想い話すことを決断しました。
これは母親も知らないし、他の人も誰も知らない事です。自分の記憶の中で経験として残っていた事です。
未だにその事故が起こった日にちも時間も何も知りません。小さい頃から今まで事故の事について親にも聞いたことがなく、母親が生きている間にちゃんとした事実を聞いておこうと思いました。
昭和45年位だと思います。私が3歳の頃ですから。
その日母親と一つ下の近所の女の子と買い物に行った帰り道、トラックが私達の横を通った時、トラックに積んであった何十枚の金網が荷台から崩れ落ち、私は金網の下敷きになったらしいです。私にはその時の記憶は全くありません。
大きく新聞にも掲載されたので、そこからなんとなく知ったくらいです。
意識不明の重体で生存できる可能性は低く、もし助かったとしても下半身不随や左目を失明するか、何らかの障害が残ると言われたみたいです。
1か月以上集中治療室に入っていました。かすかに自分がビニールで囲まれた所で寝ているなあと思った事と、事故当時一緒にいた女の子のお父さん達が見舞いに来てくれた事をかすかに覚えています。
集中治療室から個室に移る事が出来ました。入院しても親が付き添う事が出来ないという理由から家政婦のおばさんが私の面倒を見てくれていました。60歳位だったのかな?全然知らないおばさんにいろいろしてもらう事もとても嫌だった。私は病院生活が嫌でいつもやんちゃばかり言っておばさんを困らせていました。6か月位の入院生活の最後の日、屋上に上がっておばさんが買ってくれた日光に当てると絵が浮かび上がる?というようなものをやってそれがとても嬉しかった思い出があります。
いつもやんちゃばかり言って素直でなく、私の事を可愛くないなあって思っていたと思います(笑)
退院してからも週2回の通院。これも相手の運送会社の人がいつも2人で迎えに来て電車で一宮の病院まで通っていました。
知らないおじさんと1時間位かけて病院に行き、病院に行くと毎回顔に7本も注射を打たれました。
でも私は一度もないた事はありませんでした。いつも看護婦さんや先生が「強いね!よく頑張ったね(^.^)・・・」って言ってくれるのが嬉しかった。
病院の注射の臭い?消毒の臭い?は病院に行かなくなってからも小学生の3~4年生位まで鼻や頭の中に残って離れなかった。
友達と遊びたいのに嫌な病院に知らないおじさんと行かないといけないというつらさもあった。
唯一楽しみだったのは、帰りに新岐阜駅にある喫茶店でクリームソーダを食べる事でした。
私は事故当日の記憶は全く覚えていませんでしたが、やはりどこかでその記憶があるのか?お昼起きている時に頭の中でパニック?が起きる現象が続きました。
白昼夢というのか?頭の中でマットレスが自分に覆いかぶさってきて自分が下敷きになるような現象と、トイレの水を流すとまた頭の中で大量の水が自分に覆いかぶさってくる現象が起こるのです。
そういう現象が起こる前に「来る、来る、来そうだ。。。」と自分でわかりその現象が起こり始めます。
何分かそれが続いていますが、必死に耐え「早く直れ、早く消えろ。。」って思って必死にこらえていました。
とても怖かったです。
でもそれがどうして起こるのか?小さい私には全くわかりませんし、その時はそれがトラウマという事も分かりません。
母親にしがみついていた事もあったけど、どう説明すればいいかわからなかったし、少し言ってもわかってくれなかったし、それをケアしようとするような事も一切ありませんでした。
昔なのでメンタルケアなどはまったくありませんでした。
寝ていても天井がクルクル回る現象が起こったり、いろいろな怖い思いをしていました。でも誰にもわかってもらえず、一人で我慢して耐えるしかありませんでした。
大人になってあの時の現象は事故によるトラウマによって起きていたんだろうなって思う事が出来ましたが、その当時は後遺症やトラウマという事は自分自身わかりませんでした。
顏に70針の傷跡がくっきり残り、小さかった私が大きくなるまでに嫌な思いをする事もありました。
幸い私はスポーツも遊びも得意でクラスでは中心的な存在でいましたが、歳上からや時には大人からも嫌な事も言われたりしたこともありました。
私はこの事故により、自分の性格や歩みかたも大きく変わったんだと思います。それが悪かったか良かったかはわかりませんが、何もなかった時とは違う事は明らかなのだと思います。
私の事故でもこのようにいろいろとトラウマ体験をしているという事を知ってもらえると、津波で被害にあった子供達、怖い思いをした子供達、地震で恐怖に怯える子供達、親や兄弟友達を目の前で亡くした思い出、記憶というのは頭から離れずに今もそれに悩んだり怖い思いが続いている子達もいると思います。
そいいう事があるのだと知ってもらいたいと思い、私は自分の幼児期のカミングアウトをいたしました。
そして、そんなつらい思いをしている子供達に少しでも応援できるものがあればと思っていて、今回の千本桜プロジェクトに賛同しました。
すこしでも多くの皆さんに協力をして頂けるように考えました。
千本桜プロジェクト、宜しくお願いします!
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2012年5月9日 水曜日
転輪太鼓の國分さんと知り合い、被災地の状況の話を聞くようになった。
その中で一番心に響いたのが子供に関する話を聞いた時でした。
被災にあって、親を亡くした子供達もいっぱいいる。
友達や兄弟を亡くした子供達もいっぱいいる。
その子事態もとんでもない怖い体験をしている。
震災後の電気も水も何もない状況で悲惨な避難生活を送ってきている。
体力的な疲労、精神的な疲労は計り知れない物だったと思います。
あれから1年以上の月日が経ち、元気な姿、笑顔を見せてる子供達。でも本当の心の内はどうなんでしょう?
家族がみんな無事でいたらまだ立ち直りも早いかも知れないが、小さい子供達にとって親や兄弟を一瞬にして奪われた心の傷は簡単になくなる者ではないですよね。
押し寄せる津波、大洪水、大きな揺れ。。。そんな大人でも怖い体験を幼い小さな子供が体験したらやっぱりトラウマとして心の中や脳裏に焼き付いて離れられない子供達も多いと思います。
夜になると思いだして泣き出す子もいる。一人でトイレにいけない子もいる。見た目や行動に現れていないけど心の中、頭の中で恐怖を感じている子もいる。
でも小さな子供達の中には、そんな事を表現できなかったり、それがトラウマなのだという事さえわからない子供もいっぱいいると思います。
大きくなってあの時はこうだったのか?と後で気がつく事もあるのです。
子供の気持ちを親が完全にわかっていない、わからない状況もあるのだという事を被災されたお父さん、お母さんに分かって欲しいと思い、私はある自分の経験談を話そうと思っています。
今までほとんど話した事もありません。自分の母親もそんな事全然知らないと思います。
あまり自分の過去を語る事などしませんが、被災地の子供達の応援をしていきたいと思った理由の中に、私の体験はとてもつらい思いをしたと心の中で思っていた時期が続いていた時があったけど、今回のこんな震災の被害にあった子供達の事を考えたら全然大したことじゃないと思えてきます。
そしてトラウマというものがあるのだという事を理解してあげて欲しいと考えたからです。
そんな私の体験を今度また書いてみますね。。


